The History
学生時代、といっても13歳の頃にFrancis Rossi(Gt)とAlan Lancaster(B)が出会い、バンドを結成したところから歴史が始まる。アニヴァーサリー癖のあるこのバンドが最初に「20周年」と言い出したときはここを基点にしていた。ともかく、このころは言うまでも無く完全なアマチュアで、バンドにJohn Coghlan(Dr) ,Roy Lynes(Kbd)が加入するまでにはその後数年を要する。
JohnとRoyを迎えたバンドはThe Spectresを名乗り、シャーリー・バッシーのカヴァー、I(Who Have Nothing)でデビューするも不発。更に名前を変え、Trafficとしたがスティーヴィー・ウィンウッドがすでに同じ名前を名乗っていたためTraffic Jamを正式なバンド名とする。この名義でもシングルをリリースするが泣かず飛ばずに終わり、崖っぷちのバンドは、以前サマーキャンプで出会い、意気投合していたバンドからRick Parfittを迎え、更にバンド名をThe Status Quoと改め、サイケデリックなPictures Of Matchstick Manで再デビュー。これがついに英国で7位、アメリカでも大ヒットとなり、ついに成功を手にすることになる。
アルバムPicturesque Matchstickable Messages from Status Quoをリリースする頃にはバンド名からTheを取り、単にStatus Quoと名乗るようになっていたが、デビュー曲に続くヒットが出ない。Ice In The Sunは8位まで上がったものの、他のシングルやアルバムSpare Partsはぱっとしない結果に終わる。
しかしこの時期、Quoは変わりつつあった。Spare Partsに続くシングルThe Price Of Love(エヴァリー・ブラザーズのカヴァー)はローディーであり、メンバーの共作パートナーでもあるBob Youngのハーモニカをフィーチャーしたヘヴィなアレンジが施されており、既にサイケなポップバンドとは違うという雰囲気を漂わせ始めていた。そして続くDown The Dustpipeでは、外部ライターの作ながら軽快なブギーを聴かせ、ついにチャートにも返り咲く。更にヘヴィロックの名曲In My Chairをリリースし、完全復活、というよりも新生をアピール。この流れで出たMa Kelly's Greasy Spoonからはもはやサイケポップ色は一掃され、ハードでヘヴィなブギーが満載されたアルバムになっていた。
この流れの中、結成メンバーだったRoy Lynesが脱退する。しかし4人になったQuoは更に進撃を続け、アルバムDog Of Two Headをリリース。ここには長尺のヘヴィなナンバーとともに、ポップながらエッジの立った、いわばDown The Dustpipeを換骨奪胎したようなMean GirlやRail Roadも収録されており、ここにStatus Quoのスタイルが完成するのだ。
前作を最後にPyeを離れたQuoが移籍した先は新興レーベル、後にハード・プログレの名門と呼ばれるようになるVertigoだ。早速シングルPaper PlaneとアルバムPiledriverを共にヒットさせ、これ以降はもう「ヒットして当然」的な勢いになってくる。同年リリースのHello!と、シングルカットのCarolineはQuoの顔といっていいほどの作品となり、アルバムチャートNo.1も獲得。翌年のQuoもNo.1と、快進撃は止まらない。シングルもBreak The Rules, Roll Over Lay Down(Live EP)と来て、満を持してリリースされた75年のDown Downは遂にシングルチャートでもNo.1となる(現在までQuo唯一のNo.1シングル)。アルバム On The Levelはそれまでの3枚よりコンパクトな楽曲が多く、ポップさも増した。「国民的英雄」と呼ばれる時代を予見させるような音を聴かせ始めたのはこの頃だ。
リーヴァイスとのタイアップが話題になったBlue For Youからは、今まで若干目立たない位置にいたRickのヴォーカル曲が続けて2枚シングルカットされた。RainもMystery Songも現在までライヴでも重要な曲である。この頃、来日公演も行われ、日本のみでライヴアルバムTokyo Quoがリリースされた。今では殆ど知られていないが、この頃は日本でも充分人気バンドだったのだ!残念ながら本国では同時期のアポロシアターのライヴが2枚組みで出たため、このアルバムはすぐに廃盤となり、コレクターアイテムとなっている。
ライヴ盤のあとは音楽性が変化するというジンクスどおり、Quoも続くRockin' All Over The Worldではぐっとポップに寄ったサウンドになっている。断続的に参加し続けてきた元ハードのAndy Bown(kbd)がほぼフルタイムで参加するようになり、キーボードがフィーチャーされたこともその原因のひとつだろう。しかしファンはこの路線も支持し、アルバムはヒット、タイトル曲はジョン・フォガティのカヴァーながらQuoのテーマ曲のひとつとして愛され続ける曲となっている。 しかし、続くIf You Can't Stand The Heatではキーボードに加え、パーカッション、ホーン、女性コーラスなどを大胆に導入。意欲的ではあったが、Quoらしいとは言い難いサウンドはさすがに疑問で、アルバムから2曲目のカットAccident Proneは久々にヒットを逃す結果となっている。
それを受けてか、いつもより時間をかけて製作されたWhatever You WantはRockin〜とそれ以前の中間的な、ロック色の強い、それでいてポップな作品になり、パーフィット策のタイトル曲と共にチャートアクション、評価共に取り戻すことになる。
ベストアルバムを挟みリリースされたJust Supposin'もエッジの利いたロックアルバムで、自信作だったのかシングルも過去最多の3枚(ダブルAサイドがあるので4曲)がカットされた。その勢いで間髪入れずに出たアルバム(前作のアウトテイクを含むとも言われる)Never Too Lateは久々にアルバムチャートでNo.1を獲得。健在をアピールするが、音楽性の違いを訴えたJohnが脱退してしまう。
しかし翌年、Johnに別れを告げるかのようなタイトルのシングルDear JohnでQuoは復活。元シャンハイのPeter Kircher(Dr)をドラマーに、更に長年連れ添ったAndyを正式メンバーに迎え、70年以来久々に5人編成となった。この年は前述したようにQuoの原型が出来て20年ということで、アルバムタイトルも1+9+8+2(=20)というもので、お祭りムードだった。が、チャートアクションは過去に比べると勢いを欠いている。
翌年にはBack To Backをリリースするも、この時期からオーストラリアに移住していたAlanとの確執が表面化。彼はヒットシングルMarguerita TimeのPV撮影に現れない(曲を嫌っていたとも言う)など、活動に影響を与え始める。そして、ベストアルバムのために新曲The Wonderer(ディオンのカヴァー)を録音し、84年には解散を決意。End of the Roadツアーを最後に活動に終止符を打った。
が、翌85年には早くもLive Aidのステージに復活。それを最後にAlanとPeterは離脱するも、86年にはRickのソロアルバム用に呼ばれたメンバー、John "Rhino" Edwards(B)とJeff Rich(Dr)を加えて「再結成」を果たす。復活アルバムIn The Army Nowは同名シングルとともに大ヒットとなり、最も商業的に成功した作品ともなった。
続くAin't Complainingはシンセを多用し、80年代のIf You Can't~という気配も醸し出したが、重要曲Burning Bridgesを生み出す。その後は反動があったか、Perfect Remedyではギターサウンドに回帰し、更にRock Till You Dropでは殆どの楽曲をほぼスタジオライヴで録音するなど、徐々に「ロック度」を高めていたのがこの時期だ。なお、このアルバムを最後に長年在籍したVertigoを離れている。
Polydor移籍後、最初に出たのはライヴ盤だった。スタジオ盤はThirsty Workを出したが、一部では評価が高かったもののヒットには至らず、結局この2枚でポリドールは離れている。
この後のQuoは迷走気味だ。まずカヴァーアルバムDon't Stopをリリース。ビーチ・ボーイズの全メンバーやブライアン・メイ、マディ・プライアーなどが参加し話題にはなったが、所詮カヴァーであり、Quoの評価とは関係ない部分で話題が先行したきらいがある。続いてEagleからUnder The Influence、UniversalからFamous In The Last Centuryをリリースするが、カヴァーも多く含む前者、またしてもカヴァー集の後者と、どちらも創作意欲の後退を感じさせた。この時期のQuoはカヴァーとベストしか出していなかった印象がある。
Quoが真の復活を果たすのが2002年のこと。ドラムスクールの講師になるため脱退したJeffの後任としてMatt Letley(Dr)が加入。アルバムHeavy Trafficをリリースする。先行シングルJam Side Downが久々のヒットとなり、また、アルバムも非常に充実(外部ライターによるJam Side Down以外全てオリジナル)していた。Bob Youngとのコラボレーションも復活し、次作こそレコード会社に半ば強制的に作らされたカヴァー集だったが、その後もParty Ain't Over Yet, In Search of Fourth Chordと、快作を連発している。