私が出合ったファシリテーションの達人・名人たち

1.信じて待つ、これがファシリテーション…池住義憲

2.開発とは幸せを分かち合うこと…カマル・フィヤル

3.NGOのフィールドワーカーは村人の現実を知らない
-究極のファシリテーター和田信明


◇はじめに◇
 
 私が国際協力の世界に関わり始めたのは、もう30年近くも前の1979年のことです。最初は、日本国内でのインドシナ難民のお世話などでしたが、徐々に、海外の現場にも関わるようになり、1986年からは、シャプラニール=市民による国際協力の会の現地駐在員としてバングラデシュで活動することになりました。
 その後も、日本と現場を行き来しながら国際協力に関わり続けましたが、正直、自分のものの見方や考え方、あるいは人とのやり取りの方法がどれほど妥当性を持つものなのか、見当がつきませんでした。国際協力は、たいへん新しい分野であり、業界としての積み重ねも少なく、人材も育っていませんでした。何よりも、状況の変がめまぐるしく、それに付いて行くのに皆精一杯で、自分なりの方法論を持てるほどの余裕もありませんでした。私も、私の同僚たちも皆、多かれ少なかれ同じ状態でした。
とはいえ、そうした中でも、「これはたいしたものだ」、とか「へー、こんなやり方があったんだ」などと深く感心させられたり、目からうろこの体験をしたりということが、時々はありました。その最初が、アメリカのセーブ・ザ・チルドレンのベトナム駐在員をしていたM&J・スターニンご夫妻の方法論と出合ったことでした(これについては別途詳しく紹介するつもりです)。

 その後、NGOの職員としてではなく、フリーで活動するようになると、個人の力量が問われることが多くなると共に、実力派の先輩たちといっしょに研修やワークショップなどを行なうことが増えてきました。そうした中で、まず出合ったのが、池住義憲(いけずみよしのり)さんでした。次に、大きな影響を受けたのが、ネパールのPRAファシリテーター、カマル・フィヤルさんでした。そして極め付けが、飛騨高山のNGO、ソムニードの和田信明さんとの出会いでした。その天才的とさえ言える現場型ファシリテーションの妙技に打ちのめされたことは一度や二度ではありません。

 これらのお三方との出会いがなければ今の自分はなく、この分野で活動を続けてこられたかどうかも定かではありません。ここでは、ファシリテーター養成講座の中身の紹介も兼ねて、これらの名人・達人たちの手法と思想の真髄を、私なりに分析し紹介したいと思います。私の独断と偏見というなまくら刀で、思い切って解体したものです。ご本人たちからすれば不本意なところもあろうかと思いますが、何とぞご容赦のほどを。(中田)



1.信じて待つ、これがファシリテーション…池住義憲

 池住さんは、長年にわたりアジア保健研修所というNGOで、開発途上国のNGOワーカーのための研修事業に携わってきた研修のエキスパートです。1998年の秋、関西NGO協議会とJICA大阪国際センターが共同で実施することになった「NGO連携による参加型村落開発研修コース」の運営チームでいっしょになりました。
 池住さんがコースの企画と実施を主導し、私たちがそれを手伝うという形になったのですが、コースの運営方針とカリキュラム案の説明を受けて、JICA側担当のみならず、私も仰天しました。

 40日間あまりの研修を行なうのに、基本的には外部からは講師を招聘せず、すべて自分たちで実施するというのです。「参加型研修には、講師も生徒もいない。全員が講師=リソースパーソンであり、かつ生徒=学ぶ者である」という基本思想をそのまま適応しようというわけです。私たちは半信半疑の部分もあったのですが、池住さんの説得力ある言葉を信頼して、その線でカリキュラムを組み立てていきました。
 毎日の時間割や内容、発表の担当者と発表スタイル等々を、すべて参加者が議論して決めながら40日間という長丁場を進めていきます。日々のファシリテーターを池住さんがやり、私がその補助をするという形です。私にとっては日々が新鮮な驚きと学びの連続でしたが、中でも最も衝撃的だったのは、池住さんの「我慢強さ」でした。
 研修生同士の議論が白熱し過ぎて感情的なやり取りになっても、決して干渉せず、ふんふんと軽くうなづきながら、そ知らぬ顔で聞く。誰かの発表が大幅に持ち時間を超過しても止めに入らない。テーマがどんどん脇に逸れて行っても、軌道修正を図るような言動を絶対にしない。研修員の中から声が上がるのを平然と待っているのです。あるいは、池住さんが何らかの質問を出したり、問いかけを行なったりして、それに対する適切な答えがなかなかでなかったとしても、池住さんは、決して自分から回答を与えることはしません。
 脇で見ている私のほうはイライラが募り、何とかしなければと思っても、池住さんを差し置いて介入するわけにも行きません。ところが不思議なことに、そのうち必ず研修員の中から自発的に軌道修正を図るような提案が出てくるのです。あるいは、私たちファシリテーターの声を代弁してくれる人が現れます。問いかけに対してであれば、あっと驚くような名答・珍答がやがて必ず出てくるのです。
 
 このことが意味することがやっとわかったのは、池住さんの次のようなプレゼンテーションによってです。

≪信じて待つ≫
★卵と鶏の絵(下の図)を見せながら
・ 鶏の卵は、温め始めて21日目でふ化する。)
・ 鶏は、18日目or19日目で、温めるのをやめて、卵の殻を外からつつく。親がつつくと、卵の中の雛もつつき返す。⇒?啄同時(そったくどうじ)
・ そうしているうちに、雛が内側から殻を破って、ふ化する。
・ 18日目or19日目につついても、返事をしない時がある。
・ 池住さんのワークショップでは.、「親鳥はこの後、あるアクションを行います。何でしょう?」と尋ねる。(参加者があれこれ答える)
・ 池住の答えは、「待つことです」。「信じて待つ」これも重要な行為です。
・ 外強くつつきすぎると、内側に向かって殻が割れるので、雛は出てこられなくなる。だから待つしかない。

★ポイント★
1. まず、卵を抱いて、温める。
2. 時期が来たら、つつく
3. 適度にたたく(※タイミングを間違えると、いくら突いても何の変化もない。それでつつきすぎると、未熟な卵が割れてしまう。強くつつきすぎると、割れる。
4. あとは、信じて待つ。
Change comes from inside.
・ 外から刺激を与えることはできるが、変化は常に内側から来る。
・ 「信じて待つ」ということの含意:「内側からの変化を信じること」と、「良い時期に適度につついた」という自分への信頼。⇒スキルがないと、程よく温めて、タイミング良くつつくことができない。
・ 信じて待つのは時間がかかるが、いったん自分で出てくれば、後の展開は早い。

 その後、2002年までの5年間にわたり、その研修コースを池住さんといっしょに実施する機会に恵まれました。 ワークショップを行なう際の基本的な態度や姿勢から具体的な技法やツールに至るまで、私が池住さんから学んだことは数え切れません。
 その中でも、今も、池住さんの落ち着き払った端正なお顔と共に、いつも思い出されるのがこの「変化は内側から起こる。外部者は信じて待つのみ」というファシリテーションの真髄とも言えることばなのです。

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2.開発とは幸せを分かち合うこと…カマル・フィヤル

 カマル・フイヤルさんは、ネパールで最も評判の高い参加型開発のファシリテーターのひとりです。厳しい生活を送るネパールの人たちが、自分の力で自分の生活を改善していくために必要な技術や態度やものの見方を獲得できるようお手伝いしながら、日々村々を回ってきました。優れた手腕と素朴で快活な人柄を買われて、国際的にも広く活躍しています。
 そのカマルさんがかつて日本語を学んだことがあり、今も日常会話ができることを知った私は、ワークショップを通じて、直接、日本の子どもたちにネパールの子どもたちのことや村の生活を伝えて欲しいと願い、2000年10月、『カマル開発教育ワークショッププロジェクト』を開発教育に携わっている仲間たちと共に実施しました。
 その際、私は、カマルさんといっしょに日本各地を回りながら、ワークショップの通訳件アシスタントを務めることで、彼の名ファシリテーターぶりを目の当たりにする機会に恵まれました。これまた技術的に実に多くのものを学ばせていただきましたが、カマルさんのファシリテーションの特徴は、技術よりもむしろ、彼の人柄と価値観からにじみ出るやさしや暖かさにあると思います。ワークショップに「癒し」を求めるのは私の趣味ではないのですが、確かに彼のファシリテーションには人を癒す力を感じます。
その底には、以下の紹介文にもあるように、彼の人生経験から来る他者への共感の強さがあるに違いありません。
 そんなカマルさんの、ワークショップの最後を締め括るメッセージがこれ、「開発とは幸せを分かち合うこと(Development is sharing happiness)」なのです。開発とは何か、という理屈はいろいろに付けられるでしょう。開発は、否定的にも肯定的にも捉えることができるでしょう。しかしながら彼のこのコトバには、そんな理屈を超えた前向きなやさしさを強く感じることができます。
 上記の池住さんのファシリテーションが、強い意志力に支えられたものといえるのに対して、カマルさんのものは、人柄をあるがままに表現したものといえるでしょう。状況に柔軟に対応しながら、次々に即興のツールを作り出すやり方もまた、彼の柔らかい頭と軽いフットワークの現われのように思われます。
 日本でもファンが多く、今でも年に1度か2度は来日してワークショップを行なっています。
 本当はネパールの地方で活動したいのだが、政治的に不安定なためなかなか果たせなlくてつらいと常々言っていましたが、最近の情勢の変化に伴って、その機会が徐々に増えているようです。


カマル・フイヤル

 1965年、ネパールの首都カトマンドゥ生まれ。経済的にも社会的にも恵まれない子ども時代を送ったことにより、苦しんでいる人々への共感を強く持つようになった。苦学して大学を出るが、学生時代よりイギリスの開発協力NGOアクション・エイドの現地ボランティアとして活動。それを通して、PRA(participatoryRural Appraisal)ファシリテーターとしての技能を修得する。卒業後は、高校教師などを経てアクション・エイドの専従スタッフに。1993年より、フリーのPRAファシリテーターとして活動を始め現在に至る。この間に手がけた調査、研修は数知れず、その度に高い評価を受け、現在ではネパールのみならず、国際的にも優れたPRAファシリテーターのひとりと見なされている。
 上記「カマル開発教育プロジェクト」の一環として、彼がFASIDで2000年に行なったPRA研修が、日本で実施された最初の本格的PRA研修であった。
 豊富な経験、飾らない素朴な人柄、ユーモアとバイタリティ、何よりも、貧しい人々の中で、自分にも他者にも正直で誠実に生きようとする姿勢を持ちつづけており、開発援助や教育に携わる者にとって、学ぶところの極めて多い人物である。

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