○インラインと出会うまで
実家は静岡県浜松市。名古屋の大学に入学。そして一人暮し。卒業。今の会社に入社。
友達が名古屋にたくさんいたので、そのまま名古屋で就職した自分。
それなのに、仲のよい友人は就職&就職→即転勤などで名古屋から去り、一人名古屋に残された。
大学4年の時にスキーに目覚め(もっと早くからやっていれば…)趣味に没頭する楽しさを痛感。ずっとスキー上達のことを考えていた。
ゴールデンウィークが終わるまでは転勤した友人とスキーに行って楽しい週末を過ごすことができた。頭の中はスキー一色だった。
このシーズンはスキー場に30回以上行った。
GWとともにスキーシーズンが終わり、週末を一人で過ごすことが多くなり、「そういえば、俺って無趣味な人間だ。」と気づいた。
そんなとき、会社の上司がサッカーの試合に誘ってくれた。元静岡県民。幼少の頃からサッカーに親しんでいたので自信があった。
しかし、試合に出場して2回連続、熱射病でダウン。大学時代スポーツをしていなかったことと、夜型の生活を送っていたせいもあり、
体力不足を痛感。スキーのオフシーズンにできるスポーツをしようと、あれこれ考え、幼少の頃アイススケートを少しやっていたのもあり、
インラインスケートをやろうと決意する。
じつはインラインは初めてではなかった。社員旅行のときにおもちゃを一回履いている。
ぜんぜん滑らなくて、あまり面白くなかったと記憶している。
スキーの板を買った時お世話になったアルペン尾張旭店へ行き、ROCESのLAXと
ビデオ「スキートレーニングWITHローラーブレード2」を購入した。
最初は、本当にまじめにスキートレーニングする予定だった。
LAX購入の理由は、店に置いてあるブーツのなかでABEC5がついている一番安いブーツだったのが主な理由。
○1996年8月 インラインな生活の始まり。
買ったはいいが、どこで練習していいものか解らなかった。近くにスポットを求めて原付でさまよった。
そして、家の近くの矢田川河川敷に落ち着いた。ここは2キロのサイクリングコースがあり、ひたすら滑った。
Tシャツと短パン。子供用のニーパッド。リストガードはもちろん逆につけていた。
普通に滑ることは容易だった。がすぐに飽きた。楽しくなくなった。
やめようとも思ったが、体力づくりだと思いながら、義務感でやっていた。
○1996年9月 佐藤少年との出会い。
スキートレーニングにも飽き、アグレッシブなビデオを見てみようと思い、レンタルビデオ店で「ブレードランニング」なるものを借りた。
今思えば隣にHOAX1もあったような気がする。なぜこのビデオを借りたかって?日本語吹き替えだったのだ。
このビデオは、カルチャーショックだった。パワースライドやトゥーヒール、360ジャンプや階段おり。
スラローム、ジャンプランプ、ホッケー、ダンスやハーフパイプの基本なども入っていて、盛りだくさんだった。グラインドは無かったが…。
それを参考にしながら甘汁な毎日が続いた。
ある日一人で矢田川河川敷をインラインで滑っていると、オキシゲンを履いた中学生が寄ってきて、「教えて下さい」と言ってきた。
私がクロスオーバーやパラレルターンをしているのをみて感動したらしい。
当時中学1年生の佐藤少年だった。
「このおっさん(当時22歳)に話かけるとはいい度胸だなぁ」とその時は感心したが、
その度胸(態度のでかさ)が後々のトラブルになろうとは。
彼のつてで、矢田川でたまに見かけていて話かけずらかったバックスケーティングの天才臼井さん、加藤さんという仲間が増えた。
この頃から、会社の同僚(後のイエローマン)を説得し、一緒にやるよう誘ったが、彼がはじめたのは11月。
○96年9月 謎の人物「花木さん」との出会い。
矢田川河川敷を一人で滑っていたある日、バンダナを頭に巻いて、パイロンを5つならべて一人で滑っている人を発見。
彼の名は花木くん。東京から転勤でこっちにきたらしい。私はその時始めてパイロンをした。
金谷ヒデユキに似ていた。今25歳くらいだろう。知っている人いたら誰か教えて。
彼は、駒沢などで滑っていたらしく、情報通だった。
名古屋のインラインのメッカは庄内緑地公園ということも彼に聞いた。
長良川で大会があるという話も彼から聞いた。
東京にはすごい人がたくさんいるということも教えてくれた。
次の週、また会いましょうと約束してその日は別れた。
しかし、彼とはそれっきり。おそらく会社を辞めて、東京に帰ったのだと思う。
彼と出会ったことにより、パイロンを売っているところを探すことを決意。当時パイロンはどこのスポーツショップにも置いてなかった。
置いてあったら、すでに買っていたはず。探し回ったあげく、ディスカウントショップのおもちゃ売り場で発見。
その後、スラロームをひたすら練習した。
○ 庄内緑地へ遠征
佐藤少年と2人で遠征。
最初に堤防沿いのサイクリングロードに行ったら、インラインスケーターが20人以上いた。感動した。日本の光景ではないとさえ思った。
その中でも、自分達のスケートのレベルは劣っていなかった。むしろ、サイクリングロードの中では一番上手かったと思った。
そして、噴水広場でもやっているとの情報を得た。2人でインラインのまま、噴水広場へ向かった。
庄内緑地には当時2つスケートスポットがあり、堤防沿いのサイクリングロードと噴水広場だった。
あぜん…。
見たこのない光景だった。
インラインでダンスしている人がいる。子供も踊っている。親子でやっているんだろうか。
その向こうでは、大事なスケート靴をぼろぼろにしながら、鉄パイプを滑ったり、縁石に飛び乗っている輩がいた。
庄内緑地ローカルの兼松氏(こーなんさん)だった。当時は…カッコよかった。
「あんなのスケートじゃない…。自分には関係ない。自分はあんな事しない。普通に滑ったら自分の方が上だ。」と自分を正当化した。
逃げだった。
しかし、そんなことは数時間後にうちやぶられた。彼らはスラロームも得意だったのだ。
ものすごいスピードで後ろ向きに足を交互に入れ替えてのクロスをしながらパイロンを抜けていった。
彼が森川智留くんだった。彼に半田にハーフパイプがあることを教わった。
庄内緑地の噴水周りでグラインドしている人たちはSRSのTシャツを着ていた。
SRSとは(庄内りょくちーず)というのが有力な説らしい。
女の子も低いレールをソールグラインドしていた。「えっちゃん」だった。
彼女が後にイエローマンと交際することになろうとは。
この時、まだイエローマンはインラインを買ってもいない。
○ 96年11月 長良川大会初参加
この大会の前日に会社の同僚のイエローマンがインラインを買った。
エントリーしたのは、スラローム競技とロードレース。
スラロームは8位くらいのタイムだったと思う。が証拠はない。自信喪失だけは免れた。
このとき売店でJMのABEC7をゲット
アトラクションとしてGSJのハープパイプショーがあった。
安井夏くんのMCで、エイト・佐藤兄弟・箕輪くん・猫島くんなどが来ていたと思う。
デモの無い時間SRSがハーフパイプを占拠していたのが印象的だった。
○ アグレッシブ開始。
そのころ矢田川では工事が始まり鉄パイプがごろごろし始めていた。
臼井氏がそれを拝借してきて、グラインドの練習が出来る環境ができた。
マジェスティック12を購入し、練習に明け暮れた。
○ 2回目の庄内緑地遠征
フロントサイドレギュラーグラインドを武器にして、今度はアグレッシブスケーターとして庄内緑地へ遠征した。
メンバーは臼井・加藤・自分の3人。
いきなりアグレッシブスケーター発見!
しかも人相悪い。
その人こそ、「コジケン」こと小島健二くんだった。(レギュラーしかしてなかったと思う)
しかも女性を二人連れていたような気がする。
彼はチームSRSではないと言った。上手い人=SRSという思い込みが当時自分の中にあった。
その数分後、買い物から帰ってきたチームSRSが登場する。みんなで階段降りや芝生の斜面を滑った。(今思うと、とても恐い)
そのあと、庄内緑地公園のチームSRSに入りたくて矢田川で猛練習の日々。
○ 96年12月 スキーで怪我
冬休み入ってすぐ(初日)、サンアルピナ鹿島槍で膝を怪我する。あくまでもスキーのオフトレで始めたインライン。
夏にインラインでスキートレーニングを積んで、この年に賭けていた。
スキー始めて2年で二級を取ろうと意気込んでいたのだが、あきらめざるを得なくなる。
この怪我で、自分の中での「スキーの為のインライン」というものが崩れ去っていく。
それまでは、何かにつけ、スキーやる時の体力強化とかバランス感覚を養うとかを考えながらインラインしていた。
この怪我の後、「インライン」を楽しもうと考えるようになり、出た結果は「アグレッシブ」だった。
レースやホッケー・スキートレーニングってのは、あくまでも氷上・雪上の代わりになるものであり、オリジナルではない。
(真剣にやっている人ごめんなさい)
しかしアグレッシブは技(特にグラインド)やスタイルを考えるとインライン特有のものであるとの結論を得た。
インラインスケーターにしか出来ないもの。インラインスケートにユニークなもの。
それがアグレッシブであると強く確信した。
○ 97年3月 謎のホッケースケーター登場
彼の名は大島君。富山出身で名古屋の大学に合格しこちらに住むことになったとのこと。
彼はスケートスポットを求めて名古屋を放浪し名城公園で滑っていたところを、たまたま名城公園に遠征していた矢田川ローカルと出会い、
遊びに来てくれたのだという。
いきなりジャンプランプを飛び、レールもレギュラーで貫いた。
矢田川に自分たちよりうまいスケーターが来た初めての人だった。
こののち、矢田川は多いときで20人くらいまでスケーターが増えた。
この大島くんのおかげで富山を身近に感じるようになった。
しかし彼はホッケーがしたかったらしく、ホッケーのスポットを教えてあげてから矢田川には来なくなった。
○ 97年4月 やまさんとの出会い
このころユニティを練習していて、(当時は難易度の高い技だった。)、朝の8時くらいから一人、矢田川河川敷のサイクリングロードで
闇練をしていた。
するとそこにサングラスをして、高価そうな自転車に乗った人が私を見ながら行過ぎた。そして、振りかえり止まった。
「このまえ緑地来てた人だよね。」と話掛けられた。私は思い出そうとしたが、はっきりとは思い出せなかった。
庄内緑地公園でダンスをしていた「やまさん」だった。
私のことをピンクの靴紐などの特徴で覚えてくれていたのだ。なんとありがたい。
○ 97年5月 ハーフパイプデビュー
豊田市に8フィートのハーフパイプを発見。ここに通い始める。
ここのローカルで同い年の可憐な女性「美佳さん」にフェイキーを教わる。彼女は自分と同じ静岡県浜松市出身。
彼女がドロップインをしているのを尊敬の眼差しで見ていた。
フェイキーの練習中にあごを強打。未だにそこだけ髭が生えてこない。会った人見せてあげよっか?
この頃、豊田に住んでいたヘナトに出会う。ヘナトと一緒に練習することが多かった。
自分は少なからずヘナトの影響を受けている。彼をカッコ悪いという人がいるが、今でも素人目に見てカッコ悪いとは思わない。
彼のようなスタイルになりたいとは思わないが、否定するのはどうかと思う。
最近のスケーターはスタイルの悪い人を否定・拒絶する傾向がある。
自分がスタイルにこだわるのは結構だし大事なのだが、バカにしたり、嫌ったりというのはどうかと思う。
皆が同じスタイルを目標とするのはつまらないのではないか?
また、ここを巣立っていった佐藤少年と同じ年のバートスケーターがホリデーギア(半田市)でいつも練習していることを聞く。
バックフリップを完成させている伊藤一也くんのことだった。
○ 97年5月 JASPA名古屋 見学
我那覇くんやエイトやタケシ、古森真紀ちゃんが来ていた。みんな写真でみるより小さい。インラインを履いているのに小さく見えた
。自分の想像の中で彼らが大きくなっていたからだろう。
今でも覚えているのが、我那覇くんのエアーの高かったこと。天井にぶつかるーって本気で心配して、一瞬、目を覆ってしまった。
ヘナトや伊藤一也くんが大会に出ていた。ヘナトは「スーパーマン」一也君は「バットマン」のTシャツを着ていた。
今ではやらなくなったが一也君のバックフリップは凄かった。
ストリートはSRSのTシャツを着ている人が多かった。
成田真朗のミスティフリップを生で見た。この頃の彼はまだ、90センチの高さのジャンプランプじゃないとミスティできなかったと思う。
○ 97年5月 謎のマックツイスター上田拓馬くん登場
豊田のハーフパイプで練習していると知らない3人組が登場した。
当時素人では不可能とされていたボードウォークをメイクした人が拓馬くんだった。
バートのエアーもバタバタしながらも、かなり高い。そしてマックツイストをした。
メイクできなかったが、こんな8フィートのハーフパイプで「無茶しぃ〜」だと思った。
素人目にみて、ハーフパイプって危ないんだなぁ。と感じさせるスケーターだったとそのときは思った。
彼の滑りを自分はお手本にしようと決めた。あの危なっかしさ。最高。
人が「見とれる」というスタイルよりも「冷や冷や」しながら自分の滑りを見てくれるほうがいいと思った。
○ 97年6月 鮎美ちゃん見参
ホリデーギアに通い始めて3回目くらいの梅雨どき、どこかで見たような中学生くらいの女の子が来た。
川崎鮎美ちゃん見参。540やマック720に度肝を抜かれた。
○ 97年8月 IISA公認インストラクターレベル1合格
佐藤少年と2人で3日間、今はなき松戸の東京JOYパークで講習&試験を受けた。
講師は関沢圭司氏などビデオでみた人がいた。
このとき、一緒に受講していた、富山の河上さん、太陽スポーツの輪島さんと知り合い、城端にパークをつくっているという話を聞く。
オープンイベントに必ず行くと約束した。
河上さんと輪島さんは矢田川に来てた大島くんと知りあいだった。
しかも、河上さんはあさくらくん(やべさやかちゅわんのストーカー)の上司らしい。世間は狭い。
○ 97年10月 富山遠征も雨
桜ヶ池スケートパークの柿落としのイベントに行った。
河上さん・輪島さんとの再会。
ライフスタイルのメンバーが来ていた。
片岡君のアルゴンロートップを強引に借りて履かせてもらいローレールでロイヤルするも抜けてコケる。
雨がやみそうになかったので、午前10時くらいには帰った。行きも帰りも下道。疲れただけだった。
○ 97年10月 ホリデーギアの大会に参加。
初めて羽飼氏を見る。年配のバートスケーターとしかそのときは認識していない。
私はそのころすでにエアーも上がってきて?(コーピングから30センチ程度)、グラインドもロイヤル、ユニティ、バックスライド、
キリスト(懐かしい…)、パワーインバートやミラーフリップ(当時は癖が無く、きれいだった)を習得してたので、ビギナークラスにエントリーした。
周囲からはエキスパートだろうと言われたが、意地を通しビギナーに出た。
その理由は翌月に予定されていたg-skateカップのビギナーにエントリーしていたからだった。
ホリデーギアのエキスパートに出てた人間がgのビギナーに出るのはおかしいと思ったからだ。
しかし、この年のバートビギナーはレベルが高かった。自分は4位だった。その翌年からバートビギナーのみのエントリーが激減。
ストリートスケーターが遊びでバートに出るという感じのクラスになってしまった。
そのせいもあり、ここ最近まで、自分より遅く始めたバートスケーターが出現しなかった。
実はこの前日の練習日、
佐藤少年と私はバートではミラーフリップを、ジャンプランプではミスティをメイクできるようになっていた。
事件はマットを置いてのミスティの練習の時に起こった。
佐藤少年は回転を意識しすぎて、やるたびに高さが低くなっていった。
そのうち、頭から着地し始めて、「低い!、あぶねぇよ」と注意をした。
そのあと、信じられない暴言が返ってきたのだ。今でもビデオにしっかり残っている。
それ以降、わざわざ彼の家まで車で迎えにいって一緒にスケートしに行くのは「違う」と感じるようになった。
彼を排除しようと思ったのではないのだが、結果的に彼は孤立し、1年後のホリデーギアの大会を最後にスケートをやめたようだ。
スラローム競技は激戦だった。準決勝で森川智留君を倒し、そして決勝では板倉高雄氏と対戦。自分が勝利した。
○ 97年11月 国際インラインスケート岐阜長良川大会参加
この前日、刈谷の総合運動公園に遊びに行った。
そこにはローラーブレードの車(バン)があった。
ローラーブレードのプロスケーター寺田良太くんが遊びにきていたのだ。
そこには当時福山ローカルの井浦裕司(ふぁい)くんもきていた。やまさん一家もいた。
どうやらインターネットでの集まりだったようだ。
そこで寺田君は私にスラロームのコツを教えてくれた。まさか次の日、私が彼を脅かす存在になるとはそのとき思っていなかっただろう。
○ 運に見放された長良川
私の2回目のすべりで寺田君の1回目のタイムを上回った。1位だ。
彼の2ラン目。転倒。勝った…。
しかし、彼は3回目を滑ろうとした。そう、2回目は計測不能でやり直しということだった。
普通、転んだら計測不能であろうがなかろうが失格になる。
優勝は幻に消えた。もともと彼と自分には実力の差がある。でも納得できなかった。
大会側はそんなに彼を連覇させたいのかと疑念を抱いたりした。
煮え切らないまま私は会場を後にした。今でも彼の連覇は続いている。
この会場に設置されていた掲示板をみて落合公園組と出会う。大島くんのホッケーチームの張り紙もあった。
また、会場で富山の河上さんと再会している。
○ 97年12月 g−skateカップ参戦。
ビギナーもエキスパートも安床兄弟も一緒に練習する。ストリートみたいに1列になって順番を待つわけではないので入りずらかった。
バートの大会にエントリーしたことない人は、大会前のプラットホーム上での壮絶な順番の取り合いが厳しいことを知らないだろう。
ビギナーバートには江夏猛くんがエントリーしてた。おいおい。そりゃないよ。
人数が多く1ラン。なにもできず終わった。8人中5位だった。
ビギナーバート優勝は江夏君、2位が野原ミナちゃんだった。佐藤少年は8位。
彼と一緒に行動したのはこれが最後だったと思う。
彼は成長が速く、自分が教えることはもう無かった。自分がしてあげられることは彼に環境を与えてあげることだけだった。
そして全国区の大会の舞台に出してあげると約束もしていた。
私は彼をこの大会に連れてくることで、その約束を果たし、その後、彼と決別した。
この日は神戸女学院に行って現在西宮に一人暮らししている妹も応援にきていた。
色が白くなって、太っていたのでショックだった。
高校時代女子高のバスケット部の部長だった子がこんな風になっちゃうなんて。
○ 97年12月 しばらくハーフパイプ休業
g−skateカップが終わり、ミラーフリップの練習などで、打撲が多く、
太ももの内出血が直らない状態が続いていた。
5月までバートの大会がないので、しばらくバートを休業することにした。
冬になり、矢田川のスケーターが激減。そして、佐藤少年との不仲。
本拠地移転を決意する。
いよいよ庄内緑地のスケーター、つまりチームSRSになるべく、矢田川を放棄した。
スキーシーズンも始まり、ますます、ホリデーギアに行かなくなった。
土曜日は雪山。日曜日は庄内緑地公園というルーティンを組んだ。
ジャンプランプと高いレールの脚を落合公園へ、ローレールを庄内緑地へ寄贈。
この年は最初スキーに行き、スノーブレードを買ったが、どうしてもカッコイイと思えなくて、スノボを買い、20回程度スキー場に通った。
スノーブレードは森川智留君の彼女の石原明美女史に売り渡した。
○ 98年2月 マックツイスト練習開始
雪山での3D系の練習をした経験を生かし、マックツイスト挑戦。
きれいに回れた。当時はひねりが多くてマック720になっていた。明日にでも着地できると思っていた。
しばらくマック720の練習をする。
○ 98年5月 JASPA名古屋大会初参加
ビギナークラスを卒業し、オープンクラスとして初参加した大会だった。
大会が始まる前のプラットホーム上で既に最下位が決定していた。何もかもが負けていた。
エイトのフラットスピン。タケシはフラットスピン練習中だった。プラットホーム上にいたのに観客になってしまった。
"g"の関係の大会でバートにエントリーすると大変。
最近でこそ気にならなくなったが、あまりのレベルの違いでビビッテしまい、練習に入れなかったのだ。
ハーフパイプ 7位(最下位)だった。散々だった。
でもこの悔しさを経験しないと多分上手くならないと思う。大会に出ていない人!まず、己を知れ!
このころから高橋宏行くんと話をするようになり、彼に助言をもらいながらマック540を練習する。
頭や肩、膝を毎週打撲。次回JASPAのマック初着地まで接骨院通いが続く。
○98年9月 インターネットデビュー
自分の会社がインターネット環境を整備。ネットデビューを果たす。
○98年10月 スポレク岐阜インラインスケート長良川カップ
去年の寺田良太くんへの雪辱を晴らすべく、スラロームにエントリー。
だがオープンクラス2年連続の2位。今年は完敗。
しかもジュニアハイクラス1位の宗宮大樹のタイムのほうが自分よりも早い。
イエローマンとともによさこい踊りでロードレースベストパフォーマンス賞を受賞する。
この大会時にホリデーギアカップのビラ配りをする。
○ 98年10月 仕事で幕張メッセ出張。
幕張=マーベラス。泊まったホテルはマーベラスの裏に位置していた。
もちろんブーツを持っていった。プロテクター一式は、マーベラスローカルのじーじょさんにあらかじめメールで連絡を取り、
用意してもらい、借りた。ありがとうございました。
Tシャツやパンツは持っていったが、夜寒いのを忘れていた。防寒具がなかった。
仕方なく、ホテルの浴衣を上から着ていった。
マーベラスのバートは鉄製で骨格がわかる程、ベコベコだった。(ワッフルみたいだった。)
しかも11フィート。コーピングが上に出ていない。ロックが恐ろしい。
しかし、慣れるとすべて気にならなくなった。会社の方も見に来てくれた。(金網越し)
「浴衣でカインド」名言。
みんな楽しそうに和気あいあいと滑っていたのが印象的だった。
東京の人は自分を受け入れてくれないのではと心配していたのに。
いまは無くなってしまいましたがマーベラスパーク最高でした。
○ 98年10月 第3回ホリデーギア インラインスケートコンテスト
マーベラスへ行ったその週末。ホリデーギアの大会だった。しかも土曜日まで幕張だった。
マーベラス慣れしていたので、Rの感覚を取り戻すのに苦労した。
チームSRSのなかで一番バートのうまい森川智留君と同じ5位タイだった。(7人中)
佐藤少年は7位。これを最後に彼に会っていない。
ビギナーバートには臼井・加藤もエントリー。
スラロームの部は準優勝。優勝は宗宮大樹君だった。ビラ配りの効果が裏目に出た。
かれを来るように誘ったのは自分。
○ 98年12月 KAZU様初対面
羽飼さんからメールがあり、森田和治氏が名古屋に来ているとのこと。
羽飼さんの職場の近くの飲み屋にお呼ばれした。
「日本人離れした雰囲気」をかもしだしていた。将来彼のような存在感のある男になりたいと思った。
最近、「トリックスター」や「yoshiko.net」では、彼の「凄い」過去が暴かれているが、
信じたくないものばかりである。
その後、もう一度KAZUさんは名古屋に来た。羽飼さんと高橋さんと自分とKAZUさんで飲んだ。
KAZUさん以外全員バートスケーター。私以外みんなスケートオタクで、ちょっと話しについて行
けなかった。(自分もある程度マニアなのだが。3人とも度が過ぎる!)
今思えば、下ネタが少なかった・・・。まだ打ち解けてなかったんだなぁ。
○ 99年3月 臼井・加藤さんとの別れ。
同い年の名古屋大学大学院生の2人が就職し臼井さんは九州へ、加藤さんは岡崎へ引っ越すことになった。
自分には同じ年の友人が少なく、家も近かった2人がいなくなることは大きな損失だった。
今まで一緒にインラインをやってきた矢田川のメンバーでバートをやる人間が誰もいなくなった。
それから一人でホリデーギアに通うようになる。
○ 99年4月 アルベルト・JAPAとの出会い
フィフス新品・ニーパッド新品(しかも上下逆)の見慣れない人がバートを見上げていた。
「ブーツおそろいだね」と言ったら無視された。「なんだコイツ」って思った。
高橋さんも彼に話掛けたら「はー?」って言われて怖かったと後に語ってくれた。
高橋さんと江夏君と私で休憩しながら彼を見ていた。
彼がハーフパイプをフェイキーしはじめた。
だんだん高くなっていく…。そのうち高橋さんより高くなっていった。
何者だ?
江夏くん「すごいじゃん。ヘナトのカッコよくなったのって感じね。」
高橋さん「グラブ深いよね。うまいじゃん」とまだ余裕だった。
そして一番高いところでエグいロケットエアーをメイクした。
うそ〜ん。
全員、尊敬の感情に変わった。
ただものではないと思い、急いで高橋さんと江夏君と私は、はしごをつかいプラットホームに上がって彼の名前を聞きたい!話をしたい!と思った。
話掛けると、彼は日本語がわからないようだった。
我々を無視してたわけじゃなかったのだ。謎はすべてとけた。
彼はどうやらブラジル出身らしく、アランに通訳してもらいながら話をした。
彼の名はアルベルトジャパと言った。ん?どっかで聞いたことあるなぁ。
FAST SHOESのブラジルのシーンに出てたと教えてくれた。そりゃうまいわ。
マックツイストはグラブを入れている。参考になった。
マックを見て思った。そういえば、名古屋にくる人ってみんなマック720なんだよなぁ。
エイト・鮎美ちゃん。参考になんね〜よ。タケシはマック900だし。
アルベルトは結婚資金を貯めるため、こっちに来たのだという。
○ 99年5月 桜ヶ池再び
ゴールデンウィークだから、スケーター仲間でお弁当もって遠出しようと思い、
そういえば、富山にいいとこあったなぁ。よしレンタカー借りて、ピクニックだぁ。
芝生の上で寝転がって弁当食ってスケートも出来ればいうことなし。
あくまでもピクニックがメイン。
そんな気持ちでトリックスターの掲示板に「いきまーす」と書いたら、
羽飼さんやゴールデンウィークに名古屋に帰省する予定のコジケンさんも一緒の車で行くことになった。
しかも河上さん干場さんが富山ローカルに召集をかけてくださるということで、スケートがメインになってしまった。
えっちゃんと自分の彼女がお弁当をたくさん作っていった。
レンタカーに地図くらい載っていると思ってあえて地図を持っていかなかった。地図はなかった。
それを皆に打ち明けたのは郡上八幡あたりになってからだったと思う。
いきあたりばったりだぁぁぁぁぁぁ。
行きも帰りも羽飼さんの下ネタトークが続く。
○ 桜ヶ池到着
五箇山トンネルを抜けると下りの山道。そうだった。桜ヶ池オープンの時は雨だった。
こんなに景色のいいとこだったんだ。道は覚えていた。
河上さんと再会。干場さん初対面。大島君も来てた。
スケーターがたくさんいる。河上さんと干場さんの人脈はすごい。
コジケン&成田真朗はロングレールをフルトーク合戦。
羽飼&自分はバート。木彫り職人のスケーターがいるらしい。さすが富山。
みんなに職人と呼ばれている彼は田中兄。かなりエアーが高い。ロケットがきれい。羽飼さん絶賛。
そして偶然だと思うのだが、大阪UP組が来た。
コンセプトは「キャンプ」とのこと。自分たちは「ピクニック」。
桜ヶ池って「いいところ。」 次は「合宿」か?(羽飼さん談)
鮎美ちゃんやフィラ君、和南君もいた。鮎美ちゃんのパパとママは昼間からビール飲んでた。
「お、NO NO TU BUKUの謎の日本人3人が揃ったぞ!」
成田真朗くんの彼女と、えっちゃんが来てたので3人が揃ったのだ。
それで河上さんが大会やろう。って言い出して、バートやってロングレールやってストリートやろうって話になり、
MCは僕がやることになった。
バートが終わり、ロングレールの練習中、伏喜くんが脱臼→救急車→みんなのテンション下がる→大会自然消滅。
お弁当食べて午後3時に桜ヶ池を出発した。たくさんあったので、あまった。
この時の桜ヶ池がコジケン&名古屋ローカルを虜にさせて、今でも我々を富山に走らせるのだ。
○ 桜ヶ池からの帰り@
帰りはものすごい渋滞。腹もすいたのでお弁当を食べて過ごした。
渋滞にシビれを切らした羽飼さんが私のフィフスを履いて道路を滑り出した。
おそらく、フィフスの履き心地を試す。最初はその程度の考えだったと思う。
みんなそれを見てうらやましくなり、コジケンさんと成田真朗も滑ると言い出した。
ストリートスケーター2人の血が騒ぐのか。
羽飼さんも戻ってきてアルゴンに履き替え(アルゴン最高)自分も自分のブーツを履き、田舎の町並みをリアルストリートしまくった。
民家の塀からジャンプしたり、車に引っ張ってもらったり、人の家の縁石でカインドいれた人もいたらしい。
渋滞に嫌気がさしていたので皆のキレ具合は相当だった。
車の中の人は大爆笑だったらしい。
そして渋滞がどこまで続いているか見に行こうということになった。
300メートルくらい行くと原因の交差点に着いてしまい、急いで車に戻った。
車の運転はただ一人男性陣で残ったイエローマンにお願いしていたのだが、「こんな大きな車運転したこと無い。怖いよ−」
といって運転を拒否。かなり男らしくなかった。と運転を任された女性は語っていた。
その女性も大きな車を運転したことが無かったのだ。
○ 桜ヶ池からの帰りA
帰りは白鳥ICから東海北陸自動車道〜名神高速〜東名高速で帰った。
途中、名神の尾張一宮サービスエリアで休憩。
ここは新しくできたサービスエリア。以前スキー帰りに、ここのカーブをグラインドシューズで攻めた。
ケンタッキー食べた後、カーブやろうって話になり、コジケンさんがワックスを塗り始めた。
さすがに運転で疲れていた私は見ているだけだったが、コジケン、成田、羽飼は狂ったようにカーブを攻めた。
暗かったので車のライトをハイビームにして照らした。
こんな楽しいピクニックは初めてだった。富山最高。
そして、最後まで下ネタで車内を楽しませて?くれた羽飼さんに感謝。
○99年5月 マックツイスト初着地
JASPA名古屋大会
エントリーをしに言った時、エントリー表に知っている名前が3つほどあった。
佐藤大輔・佐藤哲也・中森健治?
うそ〜ん。このメンバーの中でやるのか?有名人ばっかりだ。
プラットホーム上で佐藤大輔くんに握手を求められた。彼から話掛けてくれた。うれしかった。
そして、この予選の2ラン目で1年3ヶ月着地できなかったマックツイストが決まる。
苦労が報われた瞬間だった。順位は13人中11位。
○ 99年7月 3回目の桜ヶ池
裏日本アグレッシブインラインスケート選手権 in 城端
があると聞いていたが前日友人の結婚式でピアノ弾き語りをし、2次会の乾杯の音頭&よさこい踊りをせねば成らず、
最初行く予定ではなかった。
しかし、羽飼さんが行くということで、自分も行こうと決意。
板倉・竹内健太・羽飼・自分の4人で自分のレビンで行くことになった。
福光インターおりてすぐのファミリーマートでカブに乗った兄ちゃん発見。
木彫り職人の田中兄だった。偶然とは恐ろしい。
3時間とちょっとで着いた。自宅から桜ヶ池まで294キロの道のり。
染谷隆二くんや白石良子さんがいた。コジケンさんも来てた。
この日はとても暑くて、バートに慣れる前にバテてしまった。やはり前日入りするべきだった。
バートに慣れるのをあきらめ、体力を温存すべく、大会まで休憩することにした。
そのくらい暑かった。
それにしても、屋外&白い鉄板は、反射もありキツイ。いつも屋内でやっているのでつらかった。
ミニラン、バート、ストリート、ロングレール、ワンメイクの順で行われた。
で、大会のMCは私に委任された。まずはミニラン。
干場さんのミニランの時。ドロップイン直後、技をやる前に「アシッドソール!」
羽飼さんの入れ知恵。大爆笑だった。干場氏はちょっと困っていたが…。ごめんなさい。
自分はエアーもボロボロ。グラインドもボロボロ。でもマックだけ着地した。
羽飼さんはルーティンにドリンクタイムを織り交ぜながらベテランの滑りを見せた。
自分はバート終わってバテてグロッキーだったのでストリートからMCを羽飼さんに代わってもらった。
「名古屋のミニランの帝王」こと板倉さんがミニラン・バートともに優勝。自分は準優勝。
焼きそばとフランクフルトの販売がよかった。フランクフルトは余ってたのをタダでもらった。
焼きそばは買いました。
干場さんが一生懸命大会の運営をしてた。リュウジくんのDJもよかった。スペランカー最高。
この頃トリックスターの掲示板で干場さんとコジケンさんがバトルの最中で、
閉会式の時、私の一言で、二人がアブノーマルのTシャツを着て仲直りの握手をしたのでした。めでたし、めでたし。
(コジケンさんが""とか"コ"などと呼ばれていた頃です。トリックスター参照。)
○ 99年9月 第4回ホリデーギア インラインスケートコンテスト
この大会は自分が運営に深くかかわった最初の大会。受付とストリートのMCをやった。
大阪からUP組も来た。
バートは羽飼さんがMC。自分はマックがメイクできず、時間が過ぎてからも、マックを何度も挑戦したが、結局メイクできなかった。
優勝は川崎鮎美ちゃん。自分は8位(10人中)
スラロームの優勝は板倉さん。自分は準優勝
ジャッジは内和田将、和南トモタケ、江夏猛、鈴木陽介。(敬称略)
大会運営ってノウハウが無いと大変。そう言う意味で勉強させてもらった。
富山の干場さんは相当苦労したんだろうなぁ。自分の何倍も。この経験が次回に生きる。
○99年10月 第1回春日井インラインスケートコンテスト in 落合公園
落合公園の歴史。
もともと、ここのメンバーはモーグル好きの集まりで「ベストヒップス」というチームを組んでスポーツショップ「ヒマラヤ春日井店」
の駐車場で許可を得て営業の終わる夜9時から練習していた。
ヒマラヤは12月に入ると夜10時くらいまで営業する。
彼らは行き場を失い、近くに民家のない、落合公園の駐車場で練習をはじめる。
インラインスケーターはビギナーが多く、警備員と仲もよかった。挨拶しあっていた。
だが、落合公園で練習して2年が経ち、スケートボーダーも増え、彼らが植木の中や資材置き場などにレールを置いて帰るようになる。
それに影響され、インラインスケーターもレールを置いて帰るようになった。
言い訳するけど、自分は反対した。
でも「いつもレール持ってくる立場の人」のことを考えるとそれ以上強くも言えなかった。
そして、事件が起きる。
公園管理者と警察官が来た。
公園管理者に「条例違反」といわれ、その日は撤退する。
後日、梶田代表と大嶽君がスーツを着て春日井市役所に話をつけに行った。
そこで、「こういう問題が起きるのは、そのスポーツが認知されていないからだ。
パーク建設の嘆願書も何通か提出されているみたいだけど、インライン人口がどれだけいるかわからないので検討しようがない。
イベント(大会)でもやってみたら?」と市役所の方に言われたのがきっかけになった。
翌週、落合公園に行ったら、「スケート禁止」の看板が「スケボー遊びの方たちへの注意」に変わっていた。
そして、梶田代表の一声で「大会やる」ということになり、この大会の開催が決定した。
日時は10月10日。晴れの特異日である。
ちょうど、東京のリュウジくんのフリーフライヤーの大会と重なってしまった。
セクションは梶田所有のジャンプランプや三角レール。あと庄内緑地のジャンプランプと三角レールを持ちより配置した。
プロデューサー梶田。ディレクター私。という役割分担が決まった。
成田真朗がスポーツオーソリティから賞品を150点程貰ってきてくれた。
ホリデーギアも賞品を提供してくれた。
テントや音響、発電機を梶田氏が用意した。市や市議会議員との交渉も彼がやった。
ジャッジを羽飼氏と板倉氏にお願いした。受付は児玉直樹・大嶽仁宏。
DJはスケボーの人たちが全部やってくれた。
MCは私と森川智留くんの二人で交代しながら行った。智留くんはいい。社会人になったらもっといいMCになると思う。(よく理由がわからない)
「チームやまさんち」にヒップホップのショーをお願いしていた。なかなかよかった。
プロフェッショナルな集団って見ていて気持ちのいいものだ。
エントリーは遠く山口県下関市や、静岡県静岡市、長野県飯田市、奈良県天理市などからもあり、とても楽しい大会になった。
終わってから、大会会場でバーベキューして、ウクレレ弾いて盛り上がって終わった。
みんな長い付き合いで役割分担がうまくできていた。
羽飼さんはその後体調を崩されたようでした。
○ 99年10月 池田チャレンジパーク遠征
名神高速大垣インターから北へ1時間ほど行ったところにある山の中のスケートパーク。
私が行った前の週、羽飼・高橋・板倉・江夏がデモンストレーションをしたとのこと。
その情報を聞き、本来は会員制であるところを羽飼さんにお願いし、一緒に行ってもらい滑らせてもらうことになった。
日曜正午から夕方6時までの時間限定のパーク。
バートにはカバー&チェーンが掛けられ、ストリートセクションは全て使えないよう広場の隅にまとめて立てられている。
会員は当番制でこのセクションを設置しなければならない。
よってお金を払うだけでなく、少なくとも二週間に一回は参加しないとまずい。らしい。
そのおかげでバートは非常にコンディションがよい。ホリデーギアのバートの寸法を測り、バーティカルを10センチ足した設計。
ホリデーギアよりちょっと高いのだ。
そう、仮装桜ヶ池!その練習の為に来たのだ。
池田チャレンジパークは山のふもとにあり、すぐ横にパラグライダーの着地地点がある。
山の頂上からパラグライダーがたくさん降りてくる。よい景色だ。
外のバートって解放感があっていい。冬は雪も降るし屋外は寒いので、春から会員になろうと決めた。
いろんなバートに慣れてこそ、始めてやるバートでの慣れる時間が早まるというものだ。
池田には知っている人が多かった。ホリデーギアや庄内緑地、長良川、で会っている人が多いのだ。
自分のことを皆しっていたらしく、嬉しかった。ピンクの靴紐のせいかな?
疲れていたので帰りは尾張一宮サービスエリアのカーブは攻めなかった。
○99年10月 インラインスケート岐阜長良川カップ
この日スラロームで表彰台に上がれなかったらフィットネス引退しようと思っていた。
寺田良太くんへ3回目の挑戦。スラロームには森正樹くんもエントリーしていて、表彰台は無理かと思っていたが、3位入賞できた。
この年の長良川カップは大会運営が上手く出来ていなかったように思われる。
あいねぇとがくちゃんが大会会場で結婚式を挙げた。自分とイエローマンはスーツ着て参列。
ウクレレで「乾杯」を歌いながらロードレースした。
ホッケーの大島君と再会。
○99年11月 岐阜富浦町子供祭り インラインスケート教室
そのあいねぇプロデュースのイベント。
自分にとって初の子供向け&フィットネスのイベント。本当はMCを任されていたが、フィットネスのデモのMCって難しい。
経験者の芝辻さんにお任せした。ここでノウハウを蓄積。
○ 99年11月 4回目の桜ヶ池
東京からDISTERBLENDの皆様が来るらしい。必見だ。
それにKAZUさんとも再会できる。ハンドルを握る手にも力が入るってなもんだ。
自宅から2時間半でついた。前回のタイムを上回った。次回に期待!
羽飼・高橋・竹内智史は前日入り。宴会を楽しんだそうだ。羽飼さんは水の少なくなった桜ヶ池を視察。来年こそは釣る!らしい。
自分と竹内健太は当日入り。家を4時に出て6時20分ごろには福光インター降りてすぐのファミリーマートでおっさん?に話掛けられる。
「あ〜じゅんじゅん?」干場さんだった。偶然は恐ろしい。きれいな奥様もいらっしゃった。
前回は田中兄のタカちゃん(気彫り職人)に出くわしている。
「味噌汁が飲みたくなって来た」「もう練習してる人いるよ」
干場さんは顔が腫れていた。おそらくたくさん飲まされたのだろう。
それにしてもまだ6時半なのに、スケートしている人がいるなんて。
ついてすぐ、高橋さんの携帯に電話した。もちろん嫌がらせ。寝たのは4時らしい。
コテージに向かう。途中の道でカズさんに遭遇。
コテージの中でデカい人が横たわっている。「河上さん?河上さんお久しぶり。」
しかし、この部屋汚いなぁ。ビールの空き缶やおつまみの袋が散乱している。
昨日の話を聞いた。
「温泉よかった。温泉からコテージに戻ったら鍋ができてて感動、うまかった。」
「また米がうまいんだよね。米が。」これ日本の味だよ。(ヨネスケ)
「鍋食い終わったらコーヒーでてきたよ。」
「待遇よすぎだって。女性陣働きすぎ。」
「ST90カッコよすぎ」
「富山の女性と付き合いたいなぁ」
「職人(田中兄)が木製グラインドプレート作ってきた。あれ最高!」
しばらくすると、朝ご飯が出てきた。コテージの料金とか払ってないけど、ごちそうになった。
名古屋ローカルはすっかり桜ヶ池の虜。
コテージの中の掃除を手伝う。
掃除が終わり、新ためて、「きれいなコテージなんだ」と感動した。昨夜の宴会は相当凄かったのだと予想できた。
著名スケーターが多く来ていた。
森田和治・早川智久・伊藤英一・片岡泰・森山雅明・伊東智・ジロー・ケンボー・コジケン・染谷隆二(敬称略)。
豚汁販売よかった。2杯食べた。
名古屋と違い薄味で美味。朝ご飯の残りのおにぎりをもらって昼飯にした。
なんとすばらしい富山ローカル。
ここはアグレッシブスケートの楽園?インライン林間学校とかできるぞ。来年企画するか?
羽飼さんと自分は今年だけで3回も行ったんだから。
近いし。2時間半だから…。
バートは上位4名を名古屋組が占めた。
富山組の不調は5月に訪れたある人物の影響でショートをオーバーに矯正しようとした結果によるものだと後でわかった。
そのせいで職人のエアーも下がっていた。
羽飼さんと自分とで「ショートで問題無いよ」と言ってから、のびのびとエアーをした田中兄は楽しそうだった。
でもその練習は将来的に無駄にはならないと高橋さんがフォローした。それもそうだと思った。
帰りはもちろん、成田真朗が発見し、コジケンが育てた、尾張一宮サービスエリアのカーブを攻めた。
インラインばかの集団。
そして、羽飼邸近く(名古屋城近く)の羽飼さん所有?のカーブを見に行った。
当日組(私と健太くん)は疲れていたので場所を確認して帰った。
○ 99年11月 第1回江夏CUP in ホリデーギア 大会MC担当
ホリデーギアの大会の時、怪我で出場できずジャッジをしていた江夏君。
彼の怪我が治り、リベンジとして彼が主催する大会。
この大会の開催決定を聞いたのは前日。告知も当日。パークにいた人を集めてやった感じ。
ストリートのみだった。
ジャッジは高橋さんと伊藤一也くん。羽飼さん&板倉さんがいれば4人になったのに。
大会には音響設備(DJ)・MC・ジャッジが必要。ジャッジは最低3名欲しいね。
優勝は小島しょうた。2位が後藤厚志。3位三好幸治。
○ 99年11月 輝良ッ都フェスティバル in 稲沢 インラインスケート教室
子供向けイベント。今回はチームやまさんちからの依頼だった。落合公園のとき、助けていただいたのもあり、MCを担当させてもらった。
自分の会社はトヨタカレンダー準拠で祝日出勤なので、近くの稲沢市民病院から会社に電話を入れ、参加した。
音が大きかったらしく近くの電気屋(ヤ○ダ電気)から苦情が来た。
だいぶイベントに慣れてきた。フィットネス・アグレッシブのMCについては大丈夫。
いつでもご用命ください。イベント関係者の方。
○ 99年12月 スノーブレード復活
雪山でフラットスピンの練習をしようと思い、スノボよりもスノーブレードのほうが回しやすいと考え、
短くて安いサロモンのプロペラーを購入。
着地出来なくても良い。回し方さえ覚えてしまえば。それだけで。と思っていた。
しかし、面白さがわからず、1月5日を最後に雪山に行かなくなった。
一人で始めたインラインスケート。いつの間にか自分は人に名前を覚えてもらえるだけのスケーターになっていた。
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