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第3回 コミュニケーションは共感する力

この記事は時事通信社出版局発行「教員養成セミナー」に連載しているコラムです。

結婚前のことであるが、妻に話があると呼び出されたことがある。私たちは結婚したらすぐにフィリピンにある神学校に行くことになっていた。会うと妻がめそめそ泣いている。どうしたのかと聞くと「私英語で勉強する自信がない。行けない」と言うのだ。これは一大事とありとあらゆる言葉で彼女を励まそうとした。「少しずつ単位をとればいいんだよ」とか「卒業なんて考えないで興味のある科目だけ聴講したらどうだい」とか。ところが30分経っても1時間経っても泣き止む気配はない。ついに私は一大決心をする。「分かった。もう留学はやめよう」・・・ところがそれを聞いて彼女が何と言ったか。「私一人でも行く」「・・・お前どっちやねん!!」

その時彼女が求めていたのは彼女の不安な気持ちに共感できる人であって、解決を与えてくれる人ではなかったのだ。以来このようなコミュニケーションミスにしばしば苦しんでいる。


これはたわいもない夫婦の話だが、思えばこれだけ情報伝達技術が発達した時代にあって、他者が何を考えているのか分からないという深刻な悩みを抱える社会はなかったのではないだろうか。突然切れだす子供たち、離婚を求める妻たち、私たちは日頃何を人に伝え、何を受け止めているかをしっかりと反省しなければならない時代に生きている。


コミュニケーションという言葉は単に情報を伝達するという意味ではない。語源はラテン語の「
communicatio」でもともとは「共有する」「分かち合う」という意味だ。自分を理解させようとする前に、相手をまず理解し、相手の痛みや悩みや苦しみさえも、共有しようとして始めて自分の持っているものも伝達できるということだ。


聖書に「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい」という言葉がある。他者の思いに共感し、他者の喜びや悩みを共有することの大切さを説いているのである。私たち一人ひとりが、相手に何を伝えるかよりも、どう相手の心に共感するかに心を砕くのであれば、意思の疎通もだいぶ良くなるのではないだろうか。

教師も伝える力だけではなく、共感する力が求められているのだと思う。

 

  2006年11月号掲載


2006年 9月号
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