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第8回 人はその友によって研がれる

この記事は時事通信社出版局発行「教員養成セミナー」に連載しているコラムです。

 

これは東京の神学校で学んでいた頃のことだが、その学校は全寮制ですべての学生が相部屋で暮らすことを義務付けられていた。私にとっては、これは結構つらい環境だった。何しろ、皆が20歳前後の同年配同士なら良いのだろうが、私も含め、その学校の学生の年齢、背景は多岐にわたっていて、しかも、共同で何かをやる機会が非常に多い。私は9年間の会社員生活の後に入学したのだが、私よりも年上もいれば、学校を出たての年下もいた。そんな人間たちが、朝早くから祈り、掃除、奉仕、そして勉強に明け暮れる生活で、ストレスがたまってぶつかりあうこともしばしばあった。

しかし今から思えば、そのようなぶつかりあいの中で、プライドが砕かれたり、コンプレックスを癒されたり、他人を理解したり、自分の思いを伝えたり、何より仲直りして、壊れた人間関係を修復するすべを学んでいったような気がする。こういうことは、同年齢の人が集まる学校の教室では経験しようがないことだと思う。


聖書には「
によって研がれ、人はその友によって研がれる。」という言葉がある。人は独りでは成長することはできない。人が成長してゆくためには、誰かとのかかわり合いが必要だということだ。時には信頼しあい、時にはぶつかりあい、時には励まされたり、慰められたり、また時には裏切られたり、痛い思いをすることもあるだろう。そういう中で、自分を理解したり、相手を受け入れたり、赦したりすることを学んでいくものだ。


日本は今
ITや携帯電話などのコミュニケーション技術は飛躍的に発展しているが、その中身はどうであろうか。心と心の触れ合いや、人格と人格とのかかわりがどれほど持たれているだろうか。


コミュニケーションの「手段」だけではなく、相手とのかかわり合いの中で、どのように互いに成長してゆくかという視点も、忘れないようにしたいものだ。

 

 

  2007年4月号掲載


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